河合真水氏の個展より戻り

気をとりなおして日帰りでローマへ逝ってきた。河合真水氏の個展「Promemoria Tessuto」を観るためだ。彼女が何をつくったのか最後までわからなかったし聞かなかったので、まっさらな状態で会場に赴いたわたしだが、それでもなお「うわ、こうくるとは思わなかった」という想いに打たれたのはなぜだろう。彼女はもう何年も前から私にとって大切な友人で、展覧会にも何度も足を運ばせていただいたけれども、私がこれまでに見知っていた"アーティストとしての彼女"は、実はごく一部にすぎなかったのだ。おそらく、今回の作品たちを観てそう気づかされたからだと思う。


日帰りで時間がなかったことが悔しい。あっちこっちからたくさんの想いを発してくる彼女の作品たちと、もっとゆっくりお話がしたかった。きっともっと愉しく切なくうれしくかなしくなれただろう。それは、私が作者個人を知っているからではきっとない。


さらさらと流れていくものたちのなかには、つなぎとめておきたい露もあるし、流してしまいたい澱もある。いずれにしろわたしは「その一瞬」をとっておくために切り取ろうとするのではなく、その「どうしようもない流れそのもの」を感じさせてくれるような作品が好きだ。圧倒的なその流れのなかで、されどその流れがあればこそ、誰しも、愉しく切なくうれしくかなしくジタバタと今を重ねられる、重ね続けていける。そしてその露も澱も含んだどうしようもない流れそのものを、それでも好きだなぁと感じられたとき、生きて逝くことも悪くないなぁなどとふと思えたりする。


写真は著者の許可とってからのせますね。