エスノメソドロジー:そのさん

私は、ニポン人クルーの伊国での撮影時の「現場通訳-コーディネート-アテンド」という仕事をちょくちょくいただく。その現場にいる人の種類はたいてい次のようになる:
ニポン人クルー(仕事を依頼して支払いをする方=お客さま)/伊人制作チーム(日本人クルーの要望をかなえる実働部隊)/在伊コーディネート会社の責任者(その仕事のコーディネートに責任をもつ人:私への直接の仕事依頼者)。


まず、多くの人が集まる場には、それ特有のふるまいかたのルールがある。多くの人は一様ではない。まず各人それぞれ性格が違う。あの人とは馬が合う合わないなどの感情もある。そして、たとえば場が仕事であれば、その質をまず考えなければいけない人、お金のことを考えなければいけない人といった立場の違いもあるし、指示を出す人-出される人、文句を言う人-言われる人などのヒエラルキーもある。つまり、グループの中のひとりとしてふるまうことにもルールがあり、同時に、それぞれの人がそれぞれの人に対するときには「そのつど」ふるまいかたのルールがある。これはどんな実践の場でも変わらないだろう。


注:ここでの「ルール」とは単に「遵守すべき規則」という意味ではない。「どういうふるまいを選択するか」という傾向-可能性全般をさす。


さらに、そういった多くの人が集まって「撮影」という実践をするときは、その実践特有のふるまいかたのルールがある。さらに「その撮影」を遂行するためには、それに必要なプランと「その撮影」に適したふるまいかたのルールがある。


撮影という実践をする場合、「多くの人」はときに40〜50人にも及ぶ。それだけのひとたちが、思いつくだけでも上のようなルールに従って動いている。けれども、各人が信じている-あるいは役割上遵守しなければいけない"ルール"には当然ながら差がある。"ルール"と"ルール"はときにすれ違い、あちこちで破綻がおこる。破綻がおこれば「その撮影」の遂行に支障をきたす。そのために「も」、現場通訳-コーディネート-アテンドという役割を負う人間がいる(通常はすべてを兼務。ひとりの場合もあれば複数人の場合もあり、複数の場合はそのなかで役割分担がなされることもあるが、現場ではすべてをこなさなきゃいけなくなるのが実情)。


現場通訳-コーディネーター-アテンダーの任務は「その撮影をスムーズに進行させること」だ。そのためには、撮影許可をとったり予算配分をするという実務的なこと以外にも必要なことがある。今まで意識していなかったが、撮影現場でその「仲立ち」をするためには、「多くの人から成るグループ全体」がどういうルールで動いているのかをまず捉えなければならない。のみならず「多くの人がそれぞれ」どういう"ルール"を信じて動いているのかを読まなければいけない。でなければ、その撮影という実践がスムーズに行われるためにルールをキープすることも、ルールが破綻したと気づいてそれを修正することもできない。


そのグループの最大公約数的なルールの輪と、各個人の数だけある"ルール"の輪と、さらにはその実践を行っている環境によって規定されるルールの輪の重なりを俯瞰する位置に立ち、欠けているところを足しながら、過剰な部分は削りながら、すべての輪を押したり引いたりしつつ「まるく収めて」撮影をスムーズに実現する。それがこの役割に望まれている仕事の仕方だと私は思う。と、改めて言葉にしてみると、実際、少なくとも私が知る優秀なコーディネーターは全員、意識的なのか無意識かはしらないが「そういうふうに」仕事をしている。


言い換えれば、現場通訳-コーディネート-アテンドという役割を担う人の仕事は「ルールを捉えようとする意識」からすべてが始まる。捉え損ねたとき、読み間違えたときに「失敗」は起きる。そう考えれば(そして実際も)「イタリア語力」は二の次なのだ。


ということを、考えてみた。


なお「エスノメソドロジー」という検索語で「間違って」ここへ飛んできてしまった方w、まぢめにエスノメソドロジーについて知りたい-論じたいetcの方はこちらのブログへ。
http://d.hatena.ne.jp/contractio/


続く(笑。