怒る

前にも似たようなことを書いているが、伊人を相手に怒るのはむつかしい。ヒトは怒ったときにいろいろな態度に出る。それでも大枠では、顕われかたはみっつぐらいかと。
 1.黙って怒りの波動をジトと流す
 2.冷静に自分の正当性を主張する
 3.逆上してわめくキレる
伊人を相手に怒るのがむつかしいのは、しかしこのいずれも「機能しないことが多い」からだ。


「黙って怒りの波動を流す」は、ニポン人に対しては有効なことも多いだろう。しかし伊人は、その沈黙に耐えられない。よってその沈黙を埋めるために自分がしゃべりだす。こちらが黙って聞いていると、こちらがなぜ怒っているかの推測→それに対する言い訳→当人の正当性の主張まで、彼らはひたすら喋り続ける。つまり、怒りの波動を送るための沈黙は「ご親切にも彼らにしゃべる場を提供してあげている」という結果に終わる。ことが多い。


「冷静に自分の正当性を主張する」も、ニポン人に対しては有効なことが多いだろう。しかし伊人は、長い話を聞き続けることに耐えられない。しかも、何か非難を受ける場面が訪れたとき、彼らの多くがまず考えているのは「負けないこと」であるからして、聞く耳などハナから持っていない。こちらは怒りを抑えて極めて冷静に、しかしひとたび息継ぎなどしたとたん、揚げ足をとられ、しゃべりの主導権をとられ、せっかく論理的に進めようとおもった話がどこかへ飛んで行ってしまうというオチに終わる。ことが多い。


「逆上してわめくキレる」は、ニポンではよほど親しい人の間でなければ見られない光景ぢやないか。しかしこちらでは珍しくない。珍しくないがゆえ、逆上されたり-わめかれたりすることに彼らは慣れていて、慣れているものは痛くない。耳に見えない栓をサッと詰め、ハイハイハイと適当にいなしながら嵐が過ぎるのを待つ術を、彼らは体得しているのである。馬耳東風とはこのことなり。付け加えるなら、日頃周囲で逆上してわめく輩をたくさん見ているゆえ、こちらには「自分をあんなふうに貶めたくないワン」という恥の意識も働く。


こんなふうに策をことごとく無にされると、こちらはもはや手足をもがれたカカシ。じたばたさえできず、空に向かって舌を出すのが関の山。嗚呼。