クリスマスなるもの-2

予告の通り「クリスマスの宴その2」へ逝ってきた。友人とその母とその妹は一昨日と同じ、あとはメンバーが一新され、友人の母の親戚たちが顔を並べた今回は昼食だったのだが、みな一様にどっつりと疲れた顔をしている。こちらは25日を1日のんびり家から出ずに暮らしたのだが、彼らは24日から連日連夜、あっちやこっちで集いまくり食べまくり飲みまくりである。わたしの隣に座った友人の従兄Mが「もういやだ、この昼食の後に夕食もあるんだ。もういやだ」と繰り返している。24日以降、これがいくつめのパーティかと聞いたら「5こめ」との答えが帰って来た。普段は騒がしい右隣の友人も、ぼやーもそーとしている。繰り返すが、彼らだけではない、みな一様に疲れた顔をしている。


だったらやらなきゃいいのにねっ。


と、そういうわけにもいかないらしい。父方の親戚と1回、母方の親戚と1回、友人仕事仲間などなどと1回...とりわけ、そのすべてに借り出される「娘-息子たち」にとっては、もはや「苦しい義務」の世界である。それでも、文句をたれながらも逃げずに顔を出すところがこの国の若者たちのかわいいところだ。この国の若者は、もちろん例外はいるが、口ではいろいろ言っても最終的には親にやさしい。良くも悪くも「ファミリーを大事にする国」の看板に偽りはない。そしてそんな若者たちが大人になって「仕切る側」になったとき、若かりし日の文句を忘れて彼らもまた同じことを繰り返すのであろう。家族のために。そして彼らの子供たちもまた文句をたれながらパーティの席につくのであろう。家族のために。ひとり門外漢のわたしは、そんなことを思いつつ、ひとり元気にすべてをたいらげたのであった。まる。