哀の先取り

たとえば「楽しい時を写真に撮る」、たとえば「愉しいなにかを習慣化する」ことに慎重になる、それは、いずれいつか必ず訪れる「哀」をできるだけ避けようとする守りの姿勢にほかならないのかもしれず。歳を重ねるのは面倒くさいが、否が応でもこうしてまた年は暮れ。