クリスマスなるもの

カトリックの国だけあって伊国のクリスマスの祝いは3日がかりである。例年この時期はニポンにいたのだが今年は残留、して、伊国に来てはじめて伊人宅のクリスマスの宴におよばれした。招かれたのは嬉しかったが気が重かった。いくら気心しれた友人の誘いとはいえ「その父」とか「その母」とか「その父の兄弟」とか「その母の仕事仲間」とか「その父の仕事仲間の娘」などなどちうのはまったくの別人種だ。緊張しないほうがおかしい。しかも。向こう側はみなすでにお互い旧知の仲、対してこちらが言葉を交わしたことがあるのはせいぜい友人の父母兄弟ぐらいで、あとはどこの誰やらまったく知らない。かてて加えてこちとら異人。恰好の興味の的だ。ひっそりと隠れて大人しくご飯だけ食べさせてくれる...わけがない。さまざまな質問を浴びることは必須。


いざ出向く前から悩みはつきない。大人数の集いが苦手なゆえ「仕事関係で行かねばならぬ」か「よっぽど気心知れた友人からの誘い」でなければパーティにはほぼ出ないわたしである。ぜんぜんパーティ慣れしていない。なに着りゃいいのか。手土産はどすんだ。「どーしたらいい?」との電話を友人にしたら「いつも通りのカッコで身ひとつで来い」と。まったく役にたたない。伊国のクリスマスのひとんちでの夕食会にジーンズで手ぶらでいいわけがない。仕方がないのでローマの友人宅まで「たすけてぇ」と電話をかけてアドバイスをあおぎ、1年に2回ぐらいしか着ないワンピースにもぐりこんで「やっぱ似合わんなぁ」とひとりごちるまでに1時間。近所の3軒のお菓子屋を巡って味見を繰り返し、大量のマロングラッセを買い込むのにもう1時間。


さらにここ数日のニポンのニュースをネットで漁ること1時間。今宵の食卓では絶対に「北朝鮮とニポンの関係」について話題がふられる。そうあたりをつけた。まるでテスト前である。冗談ではなく、ちゃんとした場所に出て行くと、ニポンについての質問もどんどん込み入ってくる。ナカタやナカムラやスシやサムライだけでは済まないのだ。伊国にも届いてくるぐらいの話題にはついていけないと「こやつはアホ」だと思われ場がしらける(過去に経験済w)。答えをいってしまうと、わたしのかけたヤマは見事に外れ、この日わたしに向けられた最も難しい質問は「アイヌ」と「無という美」についてであった。ニポン語でならベラベラ適当なことをまくしたてもできるが、伊語となったらもう沈没である。しかし楽々と沈没するわけにもいかない。こういう場では、他にニポン人を知らない、他のニポン人と知り合うことがおそらく将来的にもほとんどない人たちの間では、わたしは「ニポン代表」なのであるから。大袈裟ではなく。こうして度胸ばかりが無駄についていく。


なんどか沈没しかけたが、みんないいひとたちだったおかげで、冷や汗かきかきそれでもたのしく5時間(!)を過ごし、友人のご母堂から「また明後日もいらっしゃい」とのお誘いをいただいた。うれしくもあり、3日も続くどんちゃん騒ぎがうらめしくもあり。また「服」から考えねばならん。嗚呼。