魔女の1ダース -正義と常識に冷や水を浴びせる13章-

気を取り直して本の紹介ひとつ。5月に亡くなった(惜しい人を亡くしました)ロシア語通訳の大御所、米原万里のエッセイだ。幼少時代をプラハで過ごし、ロシア語で全教育が行われている当地の学校に通った彼女は、長じてからは同時通訳として活躍。ゴルビーエリツィンといったソ連-ロシアのトップの来日時には必ず同行していた。その通訳をナマで聞くことができなかったことが悔やまれてならないが、いや、おそらくテレビのニュースなどで耳にしていたのだろうに、当時はそれを意識して聞かなかったことが悔やまれるが、米原万里は通訳としての功績以外に、とても素敵なものを遺してくれた。彼女のエッセイがそれだ。


「通訳」「翻訳」「異文化」「ロシア」「言葉」「外国語」「笑い」という言葉のどれかひとつにでもピンとくるものがある人は、ぜひ買って読んでください。またエッセイ好きな人、そして「エッセイってどうも苦手で」という人にも購入推奨。わたしは後者だけれども、彼女(と向田邦子)の本に関しては別物だと。


ではここで。「購入決意組」はここから先は読まずにこのサイトを閉じる。買う気のない人は、以下の引用を読む。ちょっと解説すると、彼女はこの部分で「異言語間(たとえば伊語とニポン語)の音韻上の偶然の一致や類似」について語っている。そしてそれはなぜかシモネタに多い、と。少し長い引用になるがいってみる。

 (前略)米ソ間の、ついでに日ソ間の冷戦関係が少しずつ解凍し始めた頃、つまり一九八七年か八八年頃、日ソの防衛問題に関するシンポジウムが開かれたことがあり、同時通訳を依頼された。まだ日ソ双方コチコチに緊張しきって対面していた会議である。通訳だってそんなときは目いっぱい緊張するものだ。ソ連側団長が団員を紹介するのだが、ある将軍の名前を聞いて、ブースの中に陣取っていたわたしは二人のチームメートともども笑いが止まらなくなり、通訳不能に陥った。
社会主義労働英雄、陸軍大将.....」
 と物々しい肩書き付きで紹介された、威厳が軍服を着たような、生まれてこの方笑ったことなど一度もないような硬直した顔の将軍の名前が、「シリミエタ同志」だったのである。(後略)

この下りを満員の公共交通機関の中で読んだわたしは、笑って笑って笑って周囲の冷たい視線を浴びた。本当に惜しい人ほど早く逝く。合掌。



米原万里著/新潮社文庫/1999年/500円/ASIN:4101465223