「読み聞かせ」なるもの

母親に怒られるぐらい本ばかり読んでいる子供だったが、親や親戚ではない誰かに本を読んでもらうという場に参加した記憶はない。おそらく行くとこに行けばニポンでもやっているのだろうが、そういったイベントの告知を目にした記憶もない。


ここ伊国では、どうやら「読み聞かせ」というのは、子供と子供を持つ親にとってメジャーなイベントであるらしい。ということが、ここ数ヶ月、子供と子供の本に関わってわかってきた。「読み聞かせ」は読んで字のごとく、誰かが子供に本を読んで聞かせるわけだが、ただただべらべらと本をそのまま読むのではなく、むしろ「演じる」という言葉が近い。大袈裟なセットも共演者もないのだが、読み手は1冊の本を手に、時には本を手にすることもなく、そこに書かれている物語を子供の前で演じる、のである。当然、彼らはプロである。


3日前から子供の本や図書館運営関係の集会・報告会・イベントに立て続けに参加して、今日日曜日は、Teatro del Burattoの読み聞かせを聞いて-観てきた。我が家の近く、ということは街の中央から離れたなんてことないホールでの開催にも関わらず、時間ぎりぎりに着いたわたしの前には、少なく見積もっても100人以上のチビッコとその親たちがいた。おお。狂騒である。


Teatro del Burattoは1975年に活動スタートしたいわゆる劇団で、大人向けのミュージカルなども手広く手がけつつ、子供向けの読み聞かせのパイオニアとしても知られている。金曜日に参加したミラノ県主催の図書館運営に関する集会で、50歳ぐらいのバリっとスーツを来たおじさまが歯切れよくその活動報告をしたのだが、今日はなんとそのおじさまが黄色いオーバーオール姿で子供たちの前に現れた。おお。おじさま、役者だったのね。彼はシルビオ・オッジオーニさんという。Teatro del Burattoのひとつの特徴は、読み聞かせに畳半畳ぶんぐらいある大きな「飛び出す絵本(もちろん特注)」を使うこと。セットはないが、子供にとっては十分に大きいその「視覚的な仕掛け」への驚きをきっかけに、子供たちは物語の世界へと入っていくのである。


2〜4歳ぐらいの子供に、飽きさせずに話を聞かせ続けるのはただでも大変なことだ。ましてや、子供を物語の中に一定の時間「漬け込んでおく」には、それ相当のワザがいる。大きな飛び出す絵本で子供の注意を瞬間芸的に引くだけではなく、手を変え声を変えリズムを変え、その注意力を持続させ、子供が物語から「戻ってこないように」工夫をしなければならない。それを彼らが「いかにするか」をこの場で文字で表現するのは、片手間にできる作業ぢゃないゆえ割愛(いつか他の場に書かせていただく)するが、興味がある方は個人的にメールください。知っている範囲のことはお答えします。逆に、ニポンでの読み聞かせについてご情報のある方、ご経験のある方、メールいただければ至極幸いです。おともだちから始めましょうw。


teatro del Buratto
http://www.teatrodelburatto.it/

本日の最後のお話はベネチアの猫の物語...