の男は弱い

4月8日からの続き。友人P(雄)によれば、伊国の「カカア天下」は決して見た目だけではないという。「なんで、そうなっちゃうのか」というわたしの素朴な質問に対して、彼は大枠、4つの応えをくれた。


1. 歴史的背景-そのいち
伊国において女性が自分で自分の食い扶持を稼げるようになったのは70年代以降。それまでは、欧州近隣諸国に比べて経済的にとりわけビンボーだった伊国では、「お金を運んできてくれる父ちゃん」いや実際のところは「父ちゃんの運んできてくれるお金」はデカかった。だからして食い扶持を「運ぶ人(雄)」はエバっており、「賜る人(雌)」は生きていきたければ黙するしかなく。が、その構図が崩れ。「あんたなんていなくても私は食っていけるのよフン」と「賜る人」をやめることもできるようになった雌は、言いたいことを言い始め、一方、それまで長らく「食い扶持を運ぶ」という事実に依ってのみエバっていた雄は、そんな雌に対処する経験をもたず、すなわち彼女らを「どう扱ってよいのか」がわからなかった。そしていまだ「わからない」ままである。


2. 歴史的背景-そのに
父ちゃんが食い扶持を稼いでいた時代、父ちゃんは家にいないことが多かった。とりわけ貧しい南部では、「父ちゃんは年に数回、トラックに乗ってお金もって帰ってくるもんだ」てな家も多かった。その間、ガキどもにとっては母ちゃんが唯一の拠りどころ/絶対の存在になりえ、同時に男の子にとっては母ちゃんは「父ちゃんのかわりに自分が守るべきもの」になりえ、そうやってデカくなった雄は「母ちゃん=雌には逆らえなくなる」ことがままある。


3. 確率的背景
以上のような歴史的背景もあって、雄が学習をする前に、ここ30年ばかりで、無茶苦茶を無理に通す/臓躁的な雌が一気に間に大量/再生産された。つまり、連れをみつけるとき、そういう雌をつかむ確率が高い。結果、「無茶苦茶を無理に通す/臓躁的な」という性格傾向は、ココでは「よくあること」として流されることが多い。すなわち「ギャーギャーわけのわからんことをまったく」とたとえ思ったにしても、「あっちもこっちもそーだし。ま、いっか」という納得の仕方- をする/ができる/をするしかなかったりする。


4. 悲劇的背景
己に自信のない雄が増えている。「お金も地位もない親も金持ちじゃない顔は十人並み性格もとりたてて個性的じゃない云々」。そういう雄が、運良く自分とカップルになって「くれる」ひとりの雌をみつけたとき、雄は「奴隷になるしかない」。


注:これはあくまでひとりの友人Pの個人的意見であり、従って信じるには値「しません」。また、友人Pの表現にできるだけ忠実に訳したつもりなので、不適切な表現があっても、わたしに文句は言わないでくださいw。