京極夏彦一気読み

現実逃避モードに入ると、以前は「漫画一気読み」攻撃に出ていたのだが、ここでは「ちょっと自転車で貸本屋へ」とか「夜の散歩がてら漫画喫茶へ」てなわけにはもちろんいかない。それでわたしはニポンへ帰るたびに、京極本を1〜2冊づつ荷物に無理矢理入れてきた。結果、我が家には京極本--正しくは「の京極堂シリーズ」--がすべて揃っている。なーにもしたくなくなるとそれを読む。いったいもう何回目だろう。すべての本はボロボロで、表紙などというものはとっくの昔にないが、ついに「女郎蜘蛛の理」が562頁と563頁の間で割れ始め、もはや「2冊」に分かれようとしている。


数えていないが、おそらくこの一連の京極本が「人生の中でいちばん回数多く読み返している本」だ。これらと張れるぐらい読んだ本というと、


1. エルマーの冒険
2. 二年間の休暇
3. 大草原の小さな家
4. チポリーノの冒険
5. 4人の姉妹
6. スラムダンク


ぐらいしか思い浮かばない。そう、小さい頃は、同じ本を何度も何度も何度も読んだ。結末はわかっているのだが、下手すれば会話などもソラで覚えちゃってたりするのだが、何度も何度も何度も読んだ。しかし少しづつ大きくなるにつれ、とりわけ小説は「読み捨て」が多くなった。というか大半の小説は「1度きり」しか読まず、ひどいときには読んだそばから内容など忘れてしまう。
小さい頃は、ほいほい本が買えなかったこともあるだろうが...なぜよくもまあ飽きずに、同じ本をあれだけ繰り返し読むことができたのだろう。いずれ、それらの本たちは、私のその後の性格形成に、なにがしかの影響を及ぼしているだろうと想像する。なんせあれだけしつこく読んだのだから。それらの本を捨てることができず、彼らは引っ越すたびに段ボールに詰められてあちらこちらと移動をしたのだが、あるときの引っ越しで、その段ボールごとどこかへ消えてしまった。この出来事は、人生で悔しいことのベスト3に入っている。それ以来、わたしは引っ越し屋というものを信用していない。


上の3と4と5は「岩波少年少女文庫」だった。3はご存知ローラ・インガルス・ワイルダーの話で、その幼少時代から彼女が結婚して子供ができるまで、全部で8巻にわかれていたはず。4は、今考えれば、タイトルからすると作者は伊国人のような気もするが、登場人物はすべて野菜か果物というへんな話だ。5は「若草物語」といったほうがわかりやすい。ただこれも上中下巻に分かれていた気がする。これを読んでしまうと、よく「世界文学全集」などに収められている「若草物語」はカットされたシーンが多すぎて物足りなくていけない。1は、「エルマーと竜」「エルマーと16匹の竜」という続編があり、小学校低学年向けの物語。2は「15少年漂流記」という名前でも出ている遭難・漂流・冒険モノの「ノーカット版」で、ロビンソン・クルーソーなんかより絶対におもしろい(豪語)。6は...おそらく説明不要でしょう。


行方不明になってしまったこれらの本を、またいつか読み返してみたいと思いながら10年ぐらいがたってしまった。そゆことができるぐらいの時間の余裕がほしいもんだ。ヂンセイ。