今日は芝居

をみてきました。「友人の友人が衣装を担当した」ストリートプレイの初日。本当は、行く前に少しの躊躇いがあった。理由はふたつ。


1)国を問わず芝居はハズす確率が最も高い見せ物である(と、わたしは経験から信じている)。
2)わたしの友人は来ないうえに、その友人の友人には数回しか会ったことがない。


1はさておき。2はけっこう悩ましい状況です。「友人の友人」が誘ってくれたのは有り難く、またその「友人の友人」はとても感じがよいひとで、だけれども「初日終演後にはタダ酒が飲める」てな御触れがまわっていたので、会場には「友人の友人の友人たち」がワラワラいるだろうということは想像に難くなく。この場合「友人の友人だけにチャッチャと挨拶して消える」ちうのが一番賢い選択だと思うのだが、困ったことに「友人の友人の友人たち」のなかの数人に、私の面は割れている。としたらば。私は「友人の友人の友人たち」に囲まれて、ひとり異国人、いったい何をしてればよいのでせう。「友人の友人」は今宵の主役ゆえ、私のことを構う暇などもちろんない。うう。ただでもパーティは嫌いなのに。


こういうときの簡単な解決策。「自分も自分の友人と連れ立って行けばよい」。そうこれが正解。しかし。ここで上記の1)がジャマをする。芝居好きの友人はまわりにいない。しかもチケットは15ユーロ(2000円弱)。日本で何かを観ることを考えればバカ安だが、この国で「自分の意志でなく人に誘われて、当たりもハズれもわからぬものをみるのに15ユーロ払う」ことには結構な思い切り、もしくは愛が要る。自分が居心地悪くならないため「だけ」に誘う誰かに(ミもフタもない言い方だが、こういう場合は大体そう。じゃないですか?)そんな思いを切らせてよいものか。はて。結局、私はこの安全策をとることを諦めた。


しかし、さらに困ったことに私が身を置く場は「心理学セミナー」とか「辻仁成ファン感謝デー」などと違って、全員が同じ関心のもとに集まっている、と前提できる類いのものではない(注:どちらのイベントにもまったくぜんぜんカケラも興味ありません。またどちらのイベントもフィクションです)。前にも書きましたが「友人の何かを観に行く」理由は「友人だから」で、ヘタすりゃ芝居好きなど一人もいないかもしれぬ。いや、その確率のほうが高い。つまりソコは、とりあえず隣り合った人と話をするにも「共通の話題さがし」から始めなければならない場なわけで。そしてそのためには「あんたどちらさん?」という会話がまずは必要になってしまうわけで(先述のイベントのような場では、相手が誰かを知らずとも問題なくコミュニケーションが続けられます)。けれども「友人の友人の友人たち」は皆すでに友人。つまりは周囲の全員が、いきなり50mダッシュをかけられる状況で、私だけが足首まわしたりアキレス腱伸ばすところから始めなければならぬ。これは、気が遠くなるくらい、面倒くさいこと。じゃないですか?


こういうときアレコレと考えるのはわたしの悪い癖です。考えるのが途中で面倒くさくなって「いいや逝ってしまえ」と暴力的に結論に至るのもわたしの悪い癖です。逝ってしまった結果は、居心地よくもなく悪くもなく。いずれ面倒くさかったのはたしか。パーティ好きというのが世の中にはいますが、こういうのも場数踏めば、なんでもなくなるんでしょうか。ねぇ。


    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇