口数について

「死ぬほどしゃべる」「機関銃のようにしゃべりが止まらない」というのは、いったいどういう性格傾向から生じる現象なのであろう。「しゃべる」からといって「社交的」だとは限らず、逆に「非社交的」「照れ屋さん」「人見知りが強い」などという自覚を持つ人がそれを打ち消すために「死ぬほどしゃべる」ことだってありえる。そんな分析に意味がないことは百も承知なのだが、興味深く。さらにそこに「人の話を聞かない」というおまけがついた日には、人ごとながら「この人は他人とのコミュニケーションが問題なくできているのだろうか」などと心配になる。


常に「死ぬほどしゃべる」人と長時間一緒にいるのは疲れます。この国には「死ぬほどしゃべる」人がそれはそれは多いですが、でもその話の内容が常におもしろいかといえばそうとは限らず、というかほとんどの場合は右から入れて左に流してもなんら問題がない話題がほとんどだったりします。何よりもまず、しゃべっている本人自身もきっと、自分がなにをしゃべってるのか、はてまた何をしゃべったかを覚えてないんだろうと想像する。ただ、そういうときは、こちらも話をぶった切るなり席を移るなり携帯を取り出してメイルを書くなどなどして「死ぬほどなしゃべり」から逃げればよいだけ。無駄にヘトヘトに疲れて電池切れになるところまでは至りません。本当に問題なのは、機関銃のようにしゃべるその態度に全く邪気がなく、またその内容がおもしろかったりする奴に当たってしまった場合で、そういう場合は、こちらもついつい相づちなど打ちつつ「死ぬほど聞き続けて」しまったりするのでこれは大層疲れます。幸せなんだか、不幸なんだか。


てなわけで、疲れています。幸せなんだか、不幸なんだか。