お別れのとき

この国だけが特別なのか他国もそうなのか知りませんが、ニポンにいるときと比べて、同国人異人かに関わらず友達と過ごす時間が長く、また会う回数も頻繁になりました。おそらく、街が物理的に小さいこと、短時間でも人とちょくちょく会うという習慣があること --つまりは寂しがりやが多いということ(?)--、大多数の人が定時に仕事を(無理矢理でも)終えることなどなど、いろんな要因は考えられますが、とにかく、善し悪しは別にして「友達」との距離が意識せずともやたらと近くなる、ということがここでは起こりえます。さらにまた、みんなお金がなく、家に人を呼ぶことに抵抗がない人が多い(ように思う)ためか、「自分ち、または友達ンち」で飲んだり食ったり酔ったり眠りこけたりというシチュエーションが、これまたニポンにいるときと比べると非常に多い気がします。


善し悪しは別にして、そうやって近くなったころ、場合によっては「もはや家族」みたいになっちまった頃、「異国人の友達をもつ伊国人」「伊国人の友達をもつ異国人」さらには「同国人の友達を異国でもつ異国人」のもとには --ややこしいな-- ぽつりぽつりと別れがやってきます。異国人の圧倒的大多数は、いつかそれぞれ自国へと帰るからです。この地でこれまで、私もたくさんの人に「バイバイ」を言いました。たとえそれまでどんなに近しくしていても、結局は、それぞれがそれぞれにどこかへ向かって行くのだと、とてもわかりやすく思い知らされる瞬間です。


このお別れは、私の場合「哀しい」というより「へんな感じ」がします。あちこちの自国へ帰って行く友達の「自国」とは物理的にも感覚的にも遠く、おそらく、彼らのほとんどとはもう二度と会うことがない。昨日は、そのへんに転がっていたのに。とてもへんな感じです。


でも実は、異国にいるとわかりやすいだけで、ニポンにいるときだって、同じことをみんな繰り返しているのだと。偶然にちょびっとルートが重なって、でもルートが完全に重なり合うことは決してなく、つまりはそれぞれがそれぞれにどこかへ向かっていく、哀しかろうがヘンな感じがしようが、それぞれがそれぞれにしぶとく。そうでしかありえないのだと、ひとつまた「バイバイ」を目の前にして、思う私でありました。