Giancarlo Marinelli

「本を読む伊国人」をようやく見つけて泣くほどうれしい。
 統計によると、伊国人はヨーロッパで一番、活字を読まない国民らしい。今年春の新聞にそういう記事が載っていて、たしか「1年間に学校の教科書や仕事用のテキスト以外の本を10冊以上読む人は、国民の14%しかいない。これで伊国はポルトガルを抜いて活字離れ国1位となった云々」だったかな。誰がどうやってとったか忘れたが、とにかく統計通り、私の周囲にも本を読まない人が圧倒的に多いです。自称読書家はたくさんいるけどね。そういう人にオススメ本などを尋ねると「ダヴィンチ・コード」などという答えが返ってくるから くふん と鼻をならしてしまう。そんななかで、ようやく見つけた本を読む伊国人。もお離さんぞ。もってるネタの限りを吐き出し尽くしてもらいましょう。


 異国で異国語でシアワセに本を読むのは想像以上に大変で、なぜならまず「何を読んだらステキ(そう)か」という判断材料が私の中にないから。たとえば、本をまったく読まない人でも、長年その土地に住んでいれば、その年数ぶんだけのネタが知らず蓄積されていたりするものだと思うのだけれども ---これはコト本や作家の情報に限らず--- この土地に来てまだ年月たたない私の中には、その蓄積がない。だから「カン」にも頼れない。
 かてて加えて、日本語であれば、たとえ駄本をつかんでしまっても「つまらん」という判断が速い。簡単に言うと、本屋で5行ぐらい立ち読みすれば、自分にとってダメ(そう)な本というのはわかる(自分にとってステキな本かどうかは、全部読むまでわからないけど)。でも、異国語で読む場合は、その「やべ失敗した」という判断ができるまでに時間がかかるのですね。どのぐらい速く読めるかという物理的すなわち語学力的な問題もあるけど、それだけじゃなく「つまるか・つまらないか」という判断自体が「対母国語の本」と「対異国語の本」では微妙に違うから、でもあるんですが。ともかく、半分ぐらい読んでみて「この本はダメダメだあ」と初めて気がついたりする。時間のロスお金のロス。


 そんなわけで、いろいろつかんで失敗しつつ、有象無象からおもしろい本を見つけて、それをちゃんと覚えている現地人、というのは私にとってヒジョーにキチョーだったりするわけです。その友人のススメに従い、Giancarlo Marinelli からまず逝ってみようと一挙に3冊購入。というわけで、私は寝床に戻ります。


私見ですが「本読みは怠け者」です。