このブドウは誰が摘んだか--地主-農奴制が残る国

Moscova駅近くで15分ほど時間があいたので、UTOPIAに入ってふと目についた本を買ってしまった。こわい本だった。


Uomini e caporali
Alessandro Leogrande著/Mondadori-2008年版/16.50euro


本のタイトルは「兵卒と下士官の群れ」という訳にでもなるだろうか、あるいはもっとダイレクトに「日雇い労働者と元締めたち」だろうか。著者はターラント生まれでローマに暮らすジャーナリスト。彼が生まれたプーリア州(注:伊国の長靴のかかとにある州ですね)の「農奴」についてのルポルタージュだ。「農奴」とカッコ書きにするのは、あまりに時代錯誤な感じがする言葉ゆえだが、彼曰く、伊南部ではそれは錯誤ではない。サブタイトルにも「新たな"奴隷"が生きる南部農地への旅」とある。


プーリア中-北部の農業地帯の路上で、頭だけをトラックで轢きつぶされた青年の死体が見つかった。この本は、そんなエピソードで始まる。顔なき死体の身分特定は不可能、警察が出した告知にも名乗り出る知人はおらず、死体は身元不明の無縁仏として街の墓地の片隅に埋められた。土の上には鉄の十字架ひとつ。しかしあるとき、打ち捨てられた粗末な墓にふと目を留めた地元の老婆が、名のない仏のために、きちんとした墓石をたててやろうと考える。気まぐれではない。老婆はかつて農地で季節労働者として働いていた。彼女は「わかって」いたのだ。この青年も、かつての自分と同じような季節労働者のひとりだったのだと。彼女と同様に働いていた夫は過労で死んだ。


彼女が墓を建てたことで、無縁仏が街の噂にのぼるようになり、やがて、生前の彼を知る人が現れた。名のない死体はポーランド人で、朝から翌朝までともにトマトの収穫をし、お湯とパンで食事をとり、藁のベッドで眠り、「特大カゴ一杯で6ユーロ」という賃金をもらえたりもらえなかったりした季節労働者のひとりだった。19世紀の話ではない、21世紀の実話だ。


20世紀初頭までの「農奴」たちは伊人だったが、現在では大半が異人で、とりわけ新たにユーロ圏に組み入れられた旧東欧諸国、ポーランドルーマニアブルガリアスロバキアリトアニアなど「新ヨーロッパにおける貧しい国々」の人たちが多くを占めるという。ちなみに、伊国には、モロッコアルジェリアチュニジアなど地理的により近いアフリカ北西部からの移民も数多いが、彼らは20世紀が終わる頃にはもっとラクな生業を見つけ、この伊南部での「奴隷労働」から開放されたのだという。


プーリアは2度しか行ったことがないが、透明な海沿いに、あるいはどこまでも続く農地に囲まれて中小の美しい都市が点在している。そこで食べたものはすべて本当に例外なくおいしかった。できればこの夏もまた行きたい。そう思わせる伊国内でも数少ない土地だ。まさに今も、Negroamaroというブドウでつくったプーリア産のワインを飲みながらこれを書いている。味がしっかりと濃くてうまい。


が。これを摘んだのは誰だ。