GOMORRA

ようやく観た。作品としてはやや冗長だと思う。同じような映画ならブラジルを舞台にした「City of God」のほうがよくできている。原作もそうだが、フィクションとドキュメンタリーの中間、人々の感情面にはスポットを当てず出来事が少しずつたくさん描写されるが、されどこれは「現実の記録」ではない。


けれども、こういう「ような」日常が実際に彼の地にはあるのだと、感情を排した非常に乾いたトーンで、視覚的に見せつけること(だけ)を目的としこの映画は、その点ではとても成功しているだろう。これはつまり「いたって簡単に人が殺される」場面をひたすら観る映画なのだ。この映画は、なぜ殺しあうのかという掘り下げ方はしないし、殺す側の感情も殺される側の感情も残された人の感情も追わないし、そんな事態は一体どうなのかというような積極的な問題提起もしない。人々がただ殺して、殺されて、簡単に殺されて、何も考えずに弾を一発打ち込んで、観客はひたすらそれを観る。


ひとの命の重さが軽い場所。村上龍は著作「半島を出よ」の中で北朝鮮についてそんな表現を使ったが、この映画にコピーされた地もまた同じである。その軽さは、その地に暮らす人々にとってはいたって普通のことだ。だからこそ簡単に人々が死に、さくさくと人が死ねば殺人はさらに日常的なことになっていく。という循環。


原作者ロベルト・サヴィアーノは常日頃から言っている。「彼の地に暮らす若者たちに希望を与えたい」。彼の地に暮らす彼らとは違う日常をもつ外部の人間が、彼らの日常をスクリーンで覗き観て、驚き、目を背けることによって、それが広く語られることによって、カンヌで賞などとって騒がれることによって、彼ら内部の人間が、とりわけ若者たちが「また別の日常もありえる」ことに気づく。おそらく、この映画の最終的な観客は、スクリーンの前に座らない「彼ら」なのだ。