の大学

を卒業するのはかなり難儀である。とりわけ医学とか薬学とか数学とか物理とか工学とか理系の学生は大変だ。友人Mは生物学部の学生だが、たとえば「免疫学」という1科目だけでも、その試験範囲はハリーポッター全巻分ぐらいある。それを覚えるだけでなく、試験当日に出されるお題で試験時間中に「学んだことに自分の見解を加えた」レポートを書き、さらに口頭試問に通らなければ単位はとれない。何度か口頭試問の練習につきあったが、もちろん日本語で聞いてもわからんだろうものは伊語で聞いたらまるでお経、しかしとても大変なのだということだけは触角で感じた。


そんな友人Mが、これまた必修である研究所での実験研修から戻ってきた。培養液やら顕微鏡やら溶液やらピペットやらプレパラートやらにまみれる24時間を3週間、彼の手のひらにはクレーターのようにところどころ黒く丸い跡が残っている。はて何事か。「強酸性の溶液をガラスの筒に入れて振りながら混ぜているときにね、ちから入れすぎて筒が割れたの。ぼんって」...酸で焼けたのである。
よく見ると両手首に輪ゴムのような火傷もある。「ガラス製で手だけを突っ込んで作業する無菌ボックスっていうのがあるんだけどね、殺菌状態を保つためにその中ではずっとバーナーが燃えてるの。で、ゴム手袋つけてアルコール消毒して手いれたら引火しちゃったの。ぼんって」...アルコールは乾かさないと燃えますね。
さらにトレーナーの右袖には穴。「零下120度の冷蔵庫の壁にくっついちゃって。とれないから左手にゴム手袋して壁に押し付けて、それをテコにして右手をはがしたのね。そしたら今度は手袋がくっついちゃったの。ピタって」...手袋はいまだ零下120度の中にあるという。


そんな彼が、20人の研修生の中で最高の結果を出した実験があったのだという。それは教官もかつて見たことがないと驚くほどの結果だったそうだ。「でもね、あとから気づいたんだけど、僕、溶液を入れるとき、ピペットを殺菌済みの山からじゃなくて使用済みの山からとって使ってたの。もちろん誰にも言ってないけど」。


伊国のこれまでの偉大な発明も、伊国のこれまでの多大な失敗も、こういう土壌から生まれたのだ...。