バイオリン・コンチェルト ホ短調 op.64

幼稚園に通っていたころ、親は子守唄に毎晩(!)メンデルスゾーンのこの曲をかけていた。英才教育などという語とは何百万光年も隔たりのある我が家を知る人は嗤うだろうが、本当の話である。親が何を考えていたのかは謎だ。しかしおそらく「なーんも考えてなかった」に違いない。


発作的にCDを買った。ちなみにベルリンフィルで指揮はカラヤン(べたべただw)。ガムランのようなアジアの伝統楽器を叩いたり、騒音なのか音楽なのかよくわからんライブに通ったりするわたしだが、やっぱり。凄い。クラシック。もうなんか美しくて困る。などと書いていると、言葉というもの粗雑さに打ちひしがれるぐらい。よいのだ。


ほぼ30年ぶりにまじめに聴き直したのだが、幼児の記憶とは恐ろしく、第三楽章までいわゆる主旋律はすべて覚えていた。寝付きの悪い子だったのだ。して、4歳とかそこらだったわたしは「寝ねば、寝ねば」と焦りながら、第一楽章のあの「タラ〜ラ タラ〜ラ タ〜ラ〜ラララララ〜」という主旋律を聴いて「黄土色の砂利道をポックリポックリ行く馬の前半身の俯瞰図」を思い浮かべていた。その図は今でもはっきりおぼえている。愉しい旅路ではない、あのロシア民謡「ドナドナ」のように(あちらは牛で、しかも自分で歩いちゃいないがw)終わりへ向かう旅をする馬...。メンデルスゾーンが誰で、鳴ってる楽器がなんなのかもわからなかったが、思えばおそらくあれが、私が人生で初めて描いた「外国」のイメージだったろう。
#まったくの余談ながら、このメンデルスゾーンと、小学校低学年の頃に帰省時の新潟で観た「アンネの日記」の写真展のせいで、わたしの外国に対するイメージは、その後かなりの長きに渡って「非常に暗かった」。


さてまた、人間の脳の不思議(?)に気づいたのも、この曲を聴きながらのことだった。なんでもいいが音楽がかかっているとき、たとえそれがまったく知らない曲でも、覚えていない曲でも、「頭の中では」聴こえている曲とまったく同時進行でメロディを歌うことができる。何を言っているかわからない人は、なんでもいいからメロディを覚えてない曲をかけてみてください。そのへんのコンビニへ行ってスピーカーの下に立ってみるのもよろしい。とにかくそれを聴きながら、頭の中でそれと同じメロディを鼻歌で歌ってみる。あくまで声に出さずに。ほら、かかっている曲に、1秒たりとも遅れずに、完璧な鼻歌が歌えちゃあいませんか? もちろん声に出したら壊れる。知らない歌なんだから。


閑話休題。クラシック。今までまぢめに聴かず勿体ないことをした。王道なくして亜流はありえず、これが王道である理由はきっとちゃんとあるのだ。