Duomo-どうも

ベタな洒落から入ったが、久しぶりに私的にミラノのDuomo(大聖堂)へ入ってみた。本当に何年ぶりだろう。仕事で行くことはあっても「ひとりぶらりと」中まで入るのは実に3年ぶりぐらいかもしれない。ミラノにはDuomoぐらいしか見るところがない。しかし、私のなかでは、生涯これまでに見た教会のなかで文句なしに1番である。外から見上げてほえーっ。中で見上げてほえーっ。誰がいつ何のためにつくったとか、この建築はナンタラ様式であの像が誰だとか、そういった細かいことがどーでもよくなる。だからわたしはこのミラノ随一の見どころについて、ほぼ何もしらない。


もう、そこにあるだけでOK。
この感覚は富士山をのぞむ感じと似ている。


肩の力を抜きたいときは、ひとりでDuomoの中に座ってひたすらぼけーっとする。伊国に来た当初、それがわたしの習慣だった。裏を返せば、ここ3年間「そういうとき」がなかったということかもしれない。逆に、むりやり元気を出さなきゃならぬときは中央駅へ逝く。あのでかさ、あの騒がしさ、あの混沌、あの湿り気、ミラノ中央駅もまた伊国の駅のなかではトップだとわたしは思っている。しかし、こちらもしばらく列車に乗る目的でしか訪れていない。


ミラノで髪を切ってくれている美容師さんが(邦人-男性)、落ち込んだときは自分の好きな風景の中に身をおくとよいと言ってくれた。当たり前のことのようだけれども、実際にやってみるとココロの風通しがすこしよくなる。異国での生活などというと聞こえはよいが、愉しみもある反面、だれもかれも両足で踏ん張って毎日と格闘しているというのが実情だ。そこにあるだけでOK。そんなモノがこの街に在ることをありがたくおもう。