犬と猫と犬の日

正直に言うが子供好きではない。どう接していいかわからないからだ。赤ん坊や小さい子を前にしてじっと見つめ合ったとき、なにも通じ合うものがないと感じてしまうからだ。子供を持てば変わると皆言うが、そう口にする人たちは、子供を持っても変わらなかったときにも責任はとってくれない(当たり前だ)。だから、ひとの子をかわいいと思うことはままあっても、子供というのは基本的にわたしの人生の範囲外にある。おそらくそのせいか、子供からはあんまり好かれたことがない。


対して。動物からは概してそこそこ好かれている気がする。動物と老人からしか好かれない、それがわたしの問題であるのだがさておき。動物といってもいろいろだが、犬でも猫でも馬でもサルでもカバでも、これまで動物を目の前にしてなにかこう親近感とか共犯者みたいな感情が生じなかったことはほぼ1度もない。また、たとえば同じ犬でもひとりひとり性格も行動パタンも違うが「こいつを前にしたらどうふるまえばいいか」が、なんとなくすんなりと無理なくわかる(気がする)。すべて錯覚といってしまえばそれまでなのだが、今のところ接した動物とは平和な関係を築いている。


そして今日、その自信(?)を新たにした。友人宅にはアラミスという犬とトンマジーナという猫がいる。アラミスは遊び好きだが「おためごかし」や「犬好きのフリ」を見破る。そしてそういうひとには決してなつかない。一方、トンマジーナは置物のような猫である。家のどこかからかひっそりと現れ、前足を揃えた猫のポーズで微動だにせず佇み、そしてフと消える。放っておけば白壁を1時間でもじーっと見つめている。もちろん人嫌いである。このアラミスがわたしの膝に頭をのせて眠り、トンマジーナが足の上によじのぼって座ったとき「ほえ〜しゃ〜わせ〜」と至福の喜びを得た。


さらに。まさに今日、別の友人がCANILEで犬を手に入れた。CANILEというのは、捨て犬や迷い犬、飼い主が飼えなくなった犬などなどをまとめて集めて飼育し、里親希望者に無料で犬を提供している場所のことで、公立のものと民間のものとがある。とまれ、「生後1年の子犬」と聞いて会いにいったらば、シェパードよりでかい、わたしよりも目方のある奴が出てきた。わたしのイメージしていた「子犬」は、奴の「頭」ぐらいの大きさのものである。正直、一瞬、腰が引けた。CANILEの犬は生い立ち不明のものが多く、持病の検査などはされているものの、どのぐらい躾がされているのは謎だからだ。実際、吠えはしないがこれが滅法荒くれ者。あんまりびっくりしたので犬の種類は忘れてしまったが、飼い主がさっそくつけた名は「エボラ」。エボラ熱のエボラ、言い得て妙とはこのことである。しかし、20分間、女王様をきめこんで遊んでやったら、エボラは最後には手を舐め、首輪をつかむことをわたしに許した。幸せとか喜びというより、勝利の雄叫び。しかしこいつの散歩はわたしにはできない。そもそも目方で負けているのだからして。


犬と猫と犬の日。全身が獣臭い。しかし、人間の子供より動物のほうが肌が合う気がする、この感覚は一体なんなのだろう。