だるま船

ごぶさたしておりますがみなさまいかがおすごしですか。めっきりブログから遠ざかっていたわたしだが、いいのだ。仕事とかその他の「ねばならぬ」的シーンで、どうせ無理も無茶もしなければいけないのだから、それ以外のところで自分で自分に負荷かけて、あくせくがんばって生きるなど性に合わぬ。と、おおいばりで言い訳してみたりするが、いやでも本当に、書く気がないときに書く文章ほど書いてても読んでてもつまらんものはないからして。


ティラノザウルスばりの過激な仕事を終えて、伊語は見るのもイヤという症状がようよう回復し、本を読みたいのだが暇がない。年末になると人々は人々に躍起になって会おうとする。これは東でも西でも変わらない。ニポンの忘年会シーズンと、こちらのそれとは少し時期がずれるだけ、ただいまわたしはそのまっただ中にいる。周囲では、●○会なるものがせっせと企画されている。なぜだ。年の暮れるのと同時に世界が終わるわけじゃあるまい。とりわけこちとらクリスマス休暇も正月休みもまったく関係のないフリーの身ゆえ、12月半ばに連日飲んで食って騒いで体力と財を使い果たすわけにはいかないのだ。


しかし。この時期の、日頃とくに頻繁に会うことのない人からの誘いには極力のるようにしている。自他ともに認める出不精ゆえ、ここで会っとかないと、この先また1年会わずに終わる可能性が大きいからだ。出不精&電話無精という質ゆえに、これまでたくさんの人とのつながりを失ってきたが、異国で孤立しては生きて逝けない。実際、あっちこっちに助けられてわたしは今日までこの厄介な国で息をしてこられた。だからして、ここは身体に鞭打ってでもご挨拶に出向かねばならない、と。企画上手な人々とこの季節の勢いに引っ張られ、だるま船はようやくよろよろと動くのである。


いったん出て行けば出て行くで、出席者の中でいちばん喋ってたりいちばん酔っぱらっていたり、そこそこどころかかなり愉快にその場を過ごすわたしであるのだが。家を出るまでがつらい。このパソコンの前を離れるまでがつらい。「出不精」という性格の定義づけのポイントはおそらくここにあり、そしてそれは同時に「出不精」と「人嫌い」を分けるポイントでもある。などとうだうだ言いながら、外出の時間を遅らせようとしているが、そろそろ行かねば。ばんばれだるま船。