カメラ付きの携帯電話

なるものを生まれて初めて持った。これまで使っていた携帯は、画面は白黒&カメラなしという単純さが気に入っていたのだが、充電池がイカれたゆえに、しかたない買い替えるか...と。しかし、もともと携帯電話がキライな私ゆえ、こんなものに大枚はたくつもりは毛頭ない。さて困ったと思っていたら、Vodafoneが出血大サービス・キャンペーンをして、市場価格よりとっても安い値段で新しいものを手に入れることができた。わけだが。キャンペーンの対象機種は1種類、そこにカメラがついていた。


なぜ電話にカメラがついている必要があるのだ。なぜ冷蔵庫に時計がついている必要があるのだ。なぜご飯が炊けたら炊飯器がピーと鳴る必要があるのだ。いまどきこんなことをゆっていたらきっと笑われるのだろうが、わたしはどーしてもわからん。電話は話せりゃいいじゃないか、冷蔵庫は冷えればいいじゃないか。時代が進むにつれ、いろんなものにいろんな余計なものがついてくるようになった。


そもそも。わたしは携帯電話というもの自体がやっぱりキライだ。伊国に来てすぐ、家に電話がなかったがゆえ仕方なく人生初の携帯電話を購入したのだが、そう、ニポンでフリーランスで働いていた約10年間、わたしはソレを持つことをかたくなに拒否していた。そんなに大昔の話ではない。周囲はみんな持っていた。たしかに仕事をしていれば、あったら便利なことは多い。しかし、その「あったら便利」を享受するかわりに、いつでもどこでも望まない相手からも電話がかかってくるという由々しき事態を受け入れなければいけない。そんなのはヤだね、と。


けれども、ニンゲンは慣れのドーブツだ。キライキライと言いながら初の携帯を持ってから5年、今では(仕事柄もあるが)コレなしで働くことは考えられない。ひとつ言い訳をすればこれは、わたし自身が慣れた/慣らされたということもあるが、環境自体がもはや携帯を持たないことを許さないからだ。とくに、約束が常に緩く、不測の事態がどんどん起こる伊国ではコレがなければ仕事にならない。


そんなわたしの最後の抵抗が「余計なもののついていない携帯を持ち続けること」だった。しかし時代はもうそれすらも許さないらしい。して、さっそく携帯電話で3枚の写真を撮ってしまったわたしである。嗚呼。