ゲイたちの飲み処

昨夜未明、ポルタ・ベネチア地区にあるElefanteという飲み処にいた。何の変哲もない場所であるが、ここはいわゆるゲイの集まる飲み処だ。伊国にはゲイが多いと聞くが、何との比較で多いといっているのか不明なことが多いため、本当のところはよくわからない。私の周りに限れば、電話したり家に遊びに行ったりする程度の友人の中に、ゲイは片手ぐらいいる。当たり前ながら、みんなふつうである。「ゲイは優しい」とか「ゲイはナイーブだ」とか「ゲイはおしゃれだ」などという意見もよく耳にするが、ヘテロにも優しかったり、ナイーブだったり、おしゃれだったりする人は山ほどいるわけで、こういう類いの定義づけは実は何も言っていない。


ただ。ゲイの集まる飲み処に行くたびに思うことがひとつだけある。個々人にあるのはあくまで個体差で、それはゲイだとかヘテロだとかに帰着するもんではないだろうが、それぞれが集団になると、つまり「ゲイの集団」と「ヘテロの集団(もしくはごたまぜ)」の間には、ひとつ明らかな差がある気がするのだ。ひとことで言えば、ゲイの集団のほうが圧倒的に騒音レベルが低い。女性がいないから。それもあるだろう。しかし、それだけだろうか。


たとえば、私は、ゲイたちの飲み処へ行くと、いわゆる ごたまぜ の飲み処にいるときよりも、口を開く機会が圧倒的に減る。さすがに深夜に独りで酔旅に出るほど酔狂ではないから、わたしにも旅の連れはいるわけだが、わたしの連れはよく消える。消えるとわたしは独りになる。そして ごたまぜ の飲み処では、独り飲んでれば、どんなブスでも話しかけられる。東洋な外見は、好むと好まざると会話のきっかけを垂れ流しているのだ。「どっから来たの」「伊国に何年いるの」「何してるの」云々。大抵は、話しかける側にとっても話しかけられる側にとっても「どうでもいいやりとり」でしかない。そして多くの人は、この手のやりとりの内容の薄さを「愛想」と「勢い」で埋めようとする。そこに余計な騒音が発生する。


ゲイたちの飲み処では、これがない。私が女性だから=そういう興味の対象ではないから、という見方ももちろんできるが、周りを見回してみても(要は男ばっかなわけだが)、グラス片手にあっちこっちウロウロして先述したような「どうでもいいやりとり」にエネルギーを使っている輩などほとんど見かけない。また「我れ先に」しゃべりたがる輩も滅多にいない。「我れ先に」的なしゃべり方をすると、自ずと他人よりワントーン大きな声で話すことになるゆえ周囲の騒音レベルは上がる。それが、ない。賑やかではあるが喧しくない。和やかではあるが馴れ馴れしくはない。その点では、ゲイの集団は、ごたまぜの集団に比してバランスがとれている気がする。


そんななか、やたら騒々しい奴がいると思ったらわたしの酔旅の連れ(ヘテロ)であった...。