川内倫子の写真展

なにかを見たり触ったりしたときの感想というのはいろいろある。きれいだとかカワイイとか斬新だとか○○っぽいとか●●がすてきだとか云々。そしてわたしはここ数年、まず「懐かしい」という感想をもつことがとても多い。人生を折り返した証拠かもしれない。いつかはわからないが、ある時点まではまず最初に「懐かしい」が喚起されてくることは、なかったような気がする。


ミラノのコルソコモ・ディエチという有名なセレクトショップのギャラリーで、川内倫子の写真展をみた。わたしが持っていた彼女に関する情報は「ニポン人」ということだけだった。ただ、このギャラリーで個展ができるということは、ニポンでは少なくともそこそこ名前の売れた写真家なのだろう。観に行くつもりはなかったのだが、先日いっしょに仕事をした日本をよく知るフランス人が「ぜんぜんおもしろくなかった」と言ったため俄然興味をもった。


彼女の写真を観たときに訪れたのは、やはり「懐かしい」だった。懐かしいという感情は、個人の記憶によるゆえにごくごく個人的なものだけれども、それでもおそらくニポン人であれば、多くの人が「懐かしい」と思うのではないかとおもう。被写体がおじーさんやおばーさんだったり、農村の家族や家の中や道ばたの何気ない風景だということもあるが、わたしの感じた懐かしさの素は「ひかり」だ。このひかりの感じをいつかどこかで見たことがある、このひかりのにおいをいつかどこかでかいだことがある、そんなふうに、ひかりをきっかけに気持ちが過去へと泳ぐ。少なくともわたしにとって、ひかりにはそんな力がある。


写真のことはよくわからないが、おそらく彼女は(もちろん写真家であれば誰でもそうだろうが)ひかりをとても大事にしている写真家ではないかと想像する。実際、海外で撮影したものや動物を撮ったものなど、わたし自身にはまったく馴染みがない被写体が映っている写真もすべて、おそらくひかりの加減で、一様の懐かしさを放っていた。


この「懐かしさ」ゆえに、わたしは彼女の写真が好きだ。写真の向こうに、いつどことは明瞭とは言えない過ぎた時間を見ることができたから。けれどもこれは個人的な感情で、しかもゲージュツの正しい見方ではないのかもしれない。だからかのフランス人が「つまらない」と言ったのも、一方ではわかるような気がする。


川内倫子個展:AILA/the eyes,the ears,/Cui Cui
Galleria Carla Sozzani
Corso Como,10 Milano
10月29日まで