からリスボンへ逃亡

してきたわけですが。予想通り枯れててしょっぱく「おわっちゃった町」という空気に満ちていたわけですが。何をしたかというとただひたすら歩いていただけで、というかリスボンは坂の町なので登って下って登って登って下って登ってを永遠に繰り返していたわけですが。適当にそのへんの食堂に入ると、これがまたレストランではなく「食堂」としか言いえない言いたくない佇まいで、英語がまったく通じず伊語もまったく通じず、ビールを1杯たのむのに仕舞には給仕のおじーちゃんをビール瓶の前まで連れて行って「コレ!」などと指を指さなければいけなかったりするわけですが。人々はそういうコミュニケーションを決してイヤな顔せずにしてくれるのだけれども(伊国のように)愛想がよすぎたり異常にノリがいうということもなく、ひっそりとひとりのままにしておいてくれる。


すてきだ。


そんなわけで食う飲む歩くだけで観光はひとつもしなかったのだが、週末に開かれている「泥棒市」には逝ってみた。路上でやってる、いわゆる(がらくたの)フリーマーケットというやつですね。そこで切り株をくりぬいたような木のナベというかボールというか鉢というかよくわからない(おそらく)台所で使うものを購入する。4ユーロとゆわれたのだが、2ユーロにしてよ、というとあっさりマケてくれた。売る気が見事にまったくない。


すてきだ。


そんなことをしながら食う飲む歩くしていたらリスボンの中心街を歩き尽くしてしまい、であればと「ジェロニモ修道院」と「海洋博物館」などというところに逝ってみた。前者には「バスコ・ダ・ガマ」が眠り、後者には「大航海時代のあれこれ」が展示してあると読んだからだ。リスボンの中心から市電で30分、ベレンという街にある。


ポルトガルといえば今でこそ「おわっちゃってる感」が否めないが、かつて16世紀にはあっちの海こっちの海をうろうろし「世界がもっとでっかい」ことをヨーロッパに伝える役割を担った。上の海洋博物館には「1541年に日本を発見」とある。そう、ヨーロッパ的感性からすると、ぼくたちニポン人はポルトガルのひとたちに「発見された」のだ。とまれ。博物館内には、1543年に種子島に伝えられた鉄砲や、当時のニポンのエライさんから贈られた刀や鎧なんかも飾ってある。そしてさらに、当時の長崎出島のでっかい古地図がひとつ。壁にドドンと掲げられているのだが、どこかへんだ。よく見ると地図内の下のほうに漢字で「北」、上のほうに「南」の文字。ああ。コレ、展示、サカサマね。惜しいっ。


すてきだ。