仲直りのしかた

を忘れてしまった。久しく(仕事以外で)ケンカをしていなかったからだとおもう。そもそも仕事の場での言い争いとプライベートでのケンカは別物だ。仕事の場では折れちゃいけないときは折れてはいけないが、それでもこちらの言動に遠慮や配慮はある。そうでないとうまくいくものもいかない。が、プライベートでのケンカは、近しい間柄の相手であればあるだけ、安心感と甘えが作用して「ひどいこと」になりがちだ。


久しぶりに眠られないぐらい怒った。どう考えても相手に原因があったので、またわたしは人間がそんなにできていないので、まさに「鬼の首をとったかのように」言いたいことを言ってしまった。日頃あまりケンカをしないのだが、なぜならあまり頭に来ることがないからだが、そんなわたしがたまにケンカをすると、あのときの恨み、かのときのツラみがないまぜになって自分でも「え?」と思うぐらいの勢いがついてしまうことがある。よろしくないが...まあ仕方がない。言っちまったもんは。


さて問題は。仲直りのしかただ。仲直りには「きっかけ」が要る。「非があったほう(ときには双方)が謝る」というのが一番わかりやすくスムーズなきっかけだが、困るのはそこを通り過ぎてなおケンカが続いちゃった場合である。要は「怒った側の腹の虫がおさまらない」という場合で、おそらくよくある。ものすごくよくある。今回も相手は最初から謝っているので第一ポイントは通り過ぎてしまっている。同時に、言いたいことを言ったがゆえにこちらにも多少の罪悪感がある。「ああ、ちょっと言い過ぎちゃったかナ」というアレである。こうなると難しい。次のきっかけはどちらがどう作るのか。しかし、こちらから電話するのはシャクである。かかってくる電話にホイホイ普通の声で出てやるのも悔しい。つまらない意地だとは思うが、ナメられてもいけない。


ではどう振る舞うか。とりあえず、夜が明けて届いた1本目の携帯メールは無視した。電話も3回目まではとらなかった。2本目の携帯メールには皮肉で返す。しかし。そのあたりからだんだん面倒くさくなってきた。これだけぢゃんぢゃん連絡がくるということは、相手だってもちろん仲直りをしたいと思っているのだろう。だったらちょっと悔しいが、流してしまったほうがラクだ。そもそもこの時点での怒り、名付けて「怒りのシッポ」には目的がない。目的ある怒りとは、それが正当か否かは別にして、たとえば「謝ってほしいのに謝ってくれないから怒っている」とか、そういうことだ。して、目的なくしてずっと怒り続けるのは、怒ってる側だって疲れるのである。そんなわけで考えて考えて考えて...右手と右足が一緒に出てしまう(例えだが)。慣れない駆け引き、自滅のもと。


右手と右足が一緒に出て、左足と左手も一緒に出てフリーズしたわたしは、結局、誘われるままにだらだらと出掛けていくのだった。その頃には、相手がどう出るのかに私の興味は移っていたのだが、相手は「どうも出なかった」。まるで何事もなかったかのようにふるまい、相手がそうである以上、こちらも怒りを蒸し返すのもバカバカしくなり、ビール飲み飲みいつもと同じバカ話。天然の天真爛漫の勝利である。いやそれも(おそらく-確実に)相手の手の内だったのかもしれないが、いずれにせよ、まるで何事もなかったかのように-で通る、と読まれたわたしの負けである。伊♀(もちろん全員ではないが)のあのヒステリックな怒りを扱い慣れた伊♂にとっては、わたしの機嫌をとることなど赤子の手をひねるよなもんだったんだろう。


しかし思うに。もし相手がビビってor逆切れしてあの後いっさい連絡をしてこなかったら、どういう結末が待っていたのだろう。人と人との関係になにかの亀裂が入ったとき、そういう事態になることも多々あるはずだ。そうなっていたら、そのまま時がたつにつれ、関係性そのものがつまらないこじれかたをしたかもしれない。いや、そのまま吹き飛んだかもしれない。と思えば、天然の天真爛漫にせよ、装った天真爛漫にせよ、強引に図々しく厚顔に仲直る方向へ持っていかれたことは、怒ることに飽き疲れ、仲直りの「きっかけ」を探して実はウロウロしていたわたしにとってもよかったのかもしれない。


人が好すぎますかね。