ミラノの5日間

伊国の道や広場にはすべて名前がついていて、そこにいわゆる番地をつけると、こちらではそれがいわゆる「住所」になる。だから地図ひとつあれば未踏の地でも迷わない。さておき、その道や広場の名前の来歴にはいくつかのバリエーションがあり、大きく分類すると(おそらく)いつつ。


1.「ダンテ通り」「ガリバルディ通り」「ベルディ通り」など著名人の名前
2.「ベネツィア通り」「フィレンツェ広場」「ラツィオ通り」など伊全土の地名
3.「ポー広場」「モンブラン通り」「ベスビオ広場」など山川の名前
4.「4月25日広場」「3月22日通り」など歴史的出来事のあった日にちの引用
5.「独立通り」「和解広場」「統一運動広場」など歴史的出来事
6.「スカラ広場」「噴水広場」「病院通り」などその地の建造物名


さて。ミラノの大聖堂からバスで5分ほどいったところに「Cinque giornate(=5日間)」という大きな広場がある。このネーミングが上のカテゴリー4か5に当たることは想像に難くないが、はて。5日間とは「いつ」なのか、そして「なに」なのか。恥ずかしながら今まで知らなかった。今日、大聖堂の前でデカイ(趣味の悪い)看板を観るまでは。


この5日間とは、まさに今。1848年3月18日から22日までを指すのだそうな。ミラノ市民がオーストリアに対して蜂起して、自分たちの街を取り戻すために武器をとった、そんな戦闘の記念なのであった。そして3月22日、晴れてミラノは解放される。という史実どおり、ミラノの地図を開くと、この「Cinque giornate(5日間)広場」を起点に「3月22日通り」が始まっている。おお。感動である。


ところで。ミラノの市内には「ローマ通り」という通りが存在しない。ローマにはミラノ通りがある。伊国の他の大きな都市で、「ローマ通り」と「ミラノ通り」が存在しない街を(少なくとも)私は知らない。なぜだ。伊友人に聞いてもわからなかった。謎である。謎は気になる。誰か、応えて。


そうそ、わたしは地図おたくw。