陰翳礼讃

中学校で、いわゆるニポンの純文(という語彙も今になってみるとよくわからんが)なるものを読め読め言われた。だから読んだ。夏目さんとか川端さんとか森さんとか谷崎さんとか武者小路さんとか太宰さんとか三島さんとか芥川さんとか...。ちーともおもしろくなかった。永井荷風まで読んだ。エロ本としか思えなかった。当たり前だ。いくらニポン代表文豪チームの伝統的作品云々だからとゆって、10代前半のヒヨッ子に、読め読めいうほうが間違っている。


さらに、とかくヒトは忙しいから、一度読んだ本を再び手にとることはあまりない。ましてや一度「つまらん」と思った本には、二度と手を触れないのが普通だろう。だから、中学時代に「読め読め」されて素直に読んだわたしのよーな人は、この手の本を読んだらきっと愉しい年代に、そこを素通りしがちなわけです。この「読め読め」教師は、だから二重三重にマチガイを犯している。とわたしはおもう。


それでも「陰翳礼讃」は何度か手にした。いろんな分野にまたがって、薦める人が多いからだとおもうのだが、とまれ、伊国でそしてこの年になって改めて読み返してみたらば改めておもしろかった。以前「随筆/エッセイのたぐいは好きではないんです」と書いたけれども、そういうことを気安く言ってはいけない。反省。「素敵な視点」と「素敵な文体」のふたつがともに揃っていれば、散文もおもしろいのだと。ただ、小説と違ってストーリーで引っ張って行くわけではないから、上のふたつが揃っていないと読むに耐えなくなるのだと。散文書き散らしつつえらそうですがw。
「陰翳礼讃」
谷崎潤一郎著/中公文庫/500円/ISBN:4122024137