もののみごとに

書くことがない。毎日が、同じペースで過ぎていきます。起きる、仕事をする、読む、新しい単語を覚える、出かける、飲む、倒れるように寝る。この生活の中からだと「覚えた新しい単語」「今日飲んだ酒」「今日増えた携帯の電話番号」ぐらいしか日々のニュースがない。見事にありません。


誰かと携帯電話の番号を交換する。仕事や用事で必要に迫られた場合以外、この作業を「自分から頼んでした」ことは、ほとんどありません。おそらく一度もない、かもしれない。ニポンにいたときは、携帯電話というものを携帯していなかったし、こちらに来て生まれて初めて携帯を携帯してからも --ええいっ携帯携帯ってうるさいなw --、積極的に番号を聞こうなどとは思わないのですね。そもそもが電話嫌い、積極的に嫌いな所為もあるでしょが。


私の経験の範囲ですが、伊国の人、とりわけ伊国の女性は「会ってすぐでも電話番号を交換したがるひと」が多いような気がします。私の電話の中にも、ジョルジァやシルビアやアレッサンドラやアントネッラがいて、もうどれが誰だかよくわからない。で、そんだけたくさん交換しても、そうやってノリだけで交換した場合は、大抵よっぱらってるってこともあり、その後に電話がかかってくることはほとんどない。だったら、聞くなよ。などとも思うのだが、私からかけることも皆無なので、まあよい。そのかわり、メモリがいっぱいになってしまうので、年に2回ぐらい、まるで神にでもなったかのように「不要な番号を消し去る」という傲慢な作業をします。端的に言えば「要る人と要らん人を分ける」わけですね。同時に「本国へ帰国してしまった人たち」の番号も消す。


「量がある」ことにあまり意義を見出さないので、この作業を終えるといつも、ひどく充実した気分になる。はあ、すっきり。身の回りには、最低限の好きなもの、最低限の気持ちよい人たちがいてくれれば幸せ。そう思うわたしはおそらく「エゴイストな怠け者」と呼ばれたりもするのでしょうが、呼びたい人には呼ばせておくとして。さておき。だったらね、最初から「教えて」と言われたときに「いやよ」と言えばよいのですね。であれば増えない。ただ「教えて」と無邪気な笑顔で言われたときに「いやよ」という変化球を投げるのは、かなりの根性がいりません? 私は残念ながら、そんな根性ありませんし、そんなとこで根性発揮しようともおもわない。


からして、日に日にリストが長くなっていく。今宵はいくつの番号をゲットする/させられるのでしょ。ぢゃ、逝ってきます。「黒を着なきゃいけないパーティ」ってなんぢゃそりゃ。わたしは純白で逝くぞ。