トマト攻め

トマトソースを作った。家の台所でパスタを作ったわけではない。農家の軒先で瓶づめのトマトソースを作ったのだ。もちろん生まれて初めての体験。


ミラノからボローニャに向けて南下する高速を「ピアチェンツァ南」で降りる。そこから走ること30分。景色はすこんと田舎になる。なんでも、伊国でいちばん広い平野だそうだ。して、ピアチェンツァのあるエミリア・ロマーニャ州は、ナポリのあるカンパーニャ州と並ぶトマトの産地だそうだ。すべて受け売り。とにかく、そんな片田舎の農家で、トマトソース作りに参加させてもらえることになった。到着して朝8時、眠くて頭はぼんやりだが、すでに農家は思いきり活動開始している。


まずはトマトを切って絞る。包丁でヘタの部分を切り落とし、二つ割りにして、手で余分な水分を出すのである。眼前には言葉通り山のようなトマトトマトとまととまと。それをひたすら切る絞る切る絞る切る絞る。だんだん意識から作業手順が抜けていき、だんだん脳が指令を出さずとも身体が動くようになり、だんだん富士登山な気分になってくる。切る絞る切る絞る切る絞る。


べちゃべちゃなトマトが箱いっぱいになったら、それを白い綿布でまとめて絞る。まだまだ水が出る。最初の水はなぜか透明。トマトは水くさい奴なのだ。人間と同じ。人間もきっと、二つ割りにして絞ったら、最初は透明な水が出るのだろうなぁ。などと、のどかな風景のなかでふとブラックなことを考える。ともあれ絞る。力の限り絞る。


そこから先は機械の出番である。ややこしい機械ではないが、頭のよい機械だ。上からべちゃべちゃなトマトを入れると、皮だけが分離されて破棄される仕組みになっている。ジューサーの中に回転軸がついていて、それが分離機能を果たしている。そんな感じ。昔はこの作業も、石臼のようなものを使って手でやっていたのだとか。皮が分離されて、残りはもうあの「瓶づめで売ってるトマトソース」の風情をしている。手をつっこんで舐めてみると、青臭い昔のトマトの味がした。


ここでいったん、トマトは放っておき、空いたビール瓶(てとこがヨイ)の中に、バジルの葉を入れていく。あ、ちなみに、さっきから作っているのは「お家で使うため」のトマトソースね。販売用はさすがにビール瓶には詰めません。バジルの葉を入れたら、そこにトマトソースを入れていく。「これ、前回は何に使ったの?」てな風情のプラッチックの漏斗で。どろどろどろどろ。


そこにポコンと王冠をして、石川五右衛門ばりの大鍋に瓶を並べていく。割れないように新聞紙や段ボールを詰めながら。そこに豪快に水を注ぎ、大鍋をよっこらと火にかける。そう、煮沸消毒するのである。だから、いいのだ、ビール瓶でも、来歴不明の漏斗でも。煮てしまえば、悪いもんはみんな死ぬ。


そこから飲めや食えやで、宴が続くこと6時間。気づくとどんどん人が増えていた。誰なんだみんな。まま、きっとわたしも彼らからすれば「誰なんだ」な存在。小麦粉からピザ生地をつくり、農家の庭先のピザ釜で薪をつかって焼く。もちろん、ピザソースも、きのこやらハムやらチーズやら上にのってるトッピングもみんな自家製、この家の畑で獲れたものだ。そして農家の蔵からは、自家製ワインに始まりリンゴ酒やらザクロ酒やらサクランボ酒やらコーヒー酒やらイチゴ酒やら「とにかくなんでも酒にすればいいとおもってるだろ」的な顔ぶれでじゃんじゃんとお酒が出てくる。ちょっとづつ、味見してても、よっぱらい。七五調で酔いがまわる。


トマトソースがどうなったのか、よくわからない。食べ過ぎだ飲み過ぎだ。しかし、どれもとんでもなくおいしかったのだ。農園の主、名をエンツォさんという。