化粧がだんだん

濃くなります。伊国にいると。違いますかみなさんわたしだけですかw。もともと顔をいじるのは好きじゃないというより非常に面倒くさくて、そういう時間がもったいなくて、あまりいじったことのないわたくしでございましたが、ある日、ふと、気づいてみれば、人生のなかでいちばんシャレこいてた時代よりも化粧道具が多く、人生のなかでいちばんオスの目が大切だったときよりも化粧にかかる時間が長く、人生のなかでいちばんメスと張り合っていたころよりも化粧が濃く、なっていた。なぜ。なにゆえに。わたしはいま人生のなかでいちばん「どんな」状態にあるのでせう>歳くってるってゆう答えはなしね。当たり前だからね。それが正しい回答かもしらんが。


さておき。異国にいるニポン人には、化粧の濃い人が多いような気がします(あるいはそれか「まったくしてないか」)。濃いと同時に --あんまり大きな声で言うと要らぬところに敵をつくりそうですが-- 間違っちゃってる人も多いような気がします。両のまぶた全体が雲ひとつない空色のひととか。黒いアイラインが1センチぐらいあるひととか。それが目尻で「ぴぴん」と元気に跳ね上がってるひととか(あーピエロさんだーとわたしはいつもおもう)。つけすぎたマスカラが目の下に移動してクマになっちゃってるひととか。もともとの唇より輪郭大きく口紅ひいて、だから食後に怖くなるひととか。街をあるいていて、ときどき感動してふと立ち止まることがある。ほえー。と。


ほえー ではなく、わたしも気をつけなければいけない。それにしてもなぜでしょうね。やはり伊国女性の強迫的な顔立ち、すべてのパーツが大声で捲し立てているような顔面を日常的に間近にみていると、だんだん正しい-バランス-感覚というのが麻痺してくるのでしょうか。とにかく「なにをやってもやり過ぎってことはないぜコンチクショー」と鏡の前でどんどん気前がよくなり、筆持つ気分はもうピカソで、できあがったときは「客観的な」とか「第三者的に」とかいう視点はすでに吹き飛んでおり、笑ったり上目遣いぶっこいてみたり、最後にニコと口角あげて「完璧」などと声に出しつつ意気揚々とブーツを履く...。と、調子こいていたら最後はフィクションになってしまった。残念ながらわたしはまだこの境地までは到達できていない。まだまだ精進が足りぬ。