ものをかく#2

紙媒体とネットの差異、などという話は、おそらくもう7年ぐらい前にさんざ加熱した話題だと思うので今更になりますが、ここまでブログというものが普及した昨今、ひとつ、あらためておもうことがあります。いずれにしろ「書きたい人の誰も」が「書くこと自体」は許されているこの現在の環境で、「読み手に読まれることを想定した文章」を「書くという行為自体」をそれでも「阻む垣根」はなにか、ということです。


もちろんこの疑問の対象には、「書くという行為自体に興味がない人」は入っていません。また「書くこと自体に興味があってもそれを人目にさらすということに興味がない人」も入っていません。「書きたいのに書けない」もっといえば「書きたいけどネットに書くのはイヤ」という人に対して、個人的に感じる疑問、です。「ネットは嫌い」。OKです。知りたいのは「なぜ?」。


これだけブログというものが普及した昨今、「書きたい人」に対する垣根は低くなりました。「読み手に読まれることを想定した文章」を「書くこと自体」には、文章のうまいへた語彙のあるなし専門知識の有無などは、もはやまったく関係ないとわたしはおもいます。つまり「書いたもの自体がどうか」ということは「書くこと自体」をするうえではもはや関係ない。(とゆうか、そもそも「書いたものがどうか」などということは、書いたものが書き手の手を離れた時点で、もはやそれは書き手が判断する/できることではなく、だからして書きはじめる前からそんなことを書き手が心配するのはそれこそ無駄で、それは、紙媒体であろうとネットであろうと、プロの物書きだろうとアマチュアだろうと変わらないでしょう)。ただ、そんな今この時代に、それでも「書くという行為自体」を阻む何かしらの垣根が残されているとしたら、どんなことが考えられるか。とりあえず個人的に頭に浮かぶのはふたつ、です。


1. 書き始めて、書き終わることができるかどうか(途中終了/次回へ続く等も含む)
2. 書くことで恥をかくことを引き受けられるかどうか(意識的/無意識的に関わらず)


そして気づいてみれば、この点もまた、紙媒体であろうとネットであろうとおそらく変わりません。でもとにかく「ネットは嫌い」「ネットに書くのは嫌い」。OKです。だから知りたいのは「なぜ?」。