DOPO L'AMORE#2

 読後にひとつの風景が浮かびました。生き物の気配のない、波の音以外に音のない、だけども太陽の光で途轍もなく明るい砂浜の風景です。言い換えるなら、暗さのまったくない、空っぽの乾いた海。淡々と波がきて、淡々と波が帰っていく。また淡々と波がきて、淡々と波が帰っていく。
 この永遠に連続する状態を、一歩ひいたところから切り取ると、それはまるで「何も変化のない風景」であるかのようにも思えたりします。でも実際は、たとえ穏やかな海でも、ひとつひとつの波の高さや、大きさや、砕けかた、あるいは波が運んでくるものや、波が砕けるときの音は、もちろんすべて違っていて、まったく同じ波というのはありえない。つまりはきっと、おそらく当たり前のことですが、「それ」を観る人が、どこから何を観るかによって「それ」の見え方は異なり、またもっというなら、波がただ寄せては帰っていくように、観る人からどう見えようが、そんなことにはお構いなしに、淡々とただそこに連続して在るものというのは、淡々とただ連続してそこに在り、そういうものが私たちの身の回りには実は在るんだ、ということを、この本を読んで思いました。というより、私たちは、意識はしないけれども、生まれてから死ぬまで、そういった「淡々とそこに在るもの」の中にスッポリと浸かって日々を暮らしているのだろう、と想像しました。なにか、とてつもなく大きく、乾いたもの。


 蛇足ですが、舞台となっているScardovariは、ヴェネト州の南端、アドリア海とポー河に挟まれたデルタ地帯に実存する街です。いずれ行ってみたいと思います。そしていずれ誰かが、邦訳してくれることを祈ります。乾いた文体が素敵です。