Fighettoについての考察

などというエラそうなタイトルをつけているが、要は文句が言いたいだけなのだ。asparagoは昨日「Fighettoたちが集まる場に間違って足を踏み入れて気絶しかけた」。さあ、Fighettoとはどういう人たちか。


言語解説。Fighetto は変意名詞で原型は Figo。しかし辞書にはない。辞書には Fico で載っている。Fico には「イチジク」という意味もあり、また「とるにたらないこと」という意味もあるが、ここで問題にしているのは第三の意味すなわち「流行に敏感でかっこいい人(小学館伊和中辞典より)」だ。この Fico がなまって Figo になり、さらに Fighetto に変化したというわけである。


ふつう Figo はヨイ意味で使う。「Che figo!」と叫ぶと「いやん、かっこいい!」と叫んでいることになる。それが Fighetto になるとどうなるか。というかこの後ろにくっついている「-etto」はなんなのか。


伊語には名詞の後ろに [-etto][-ino]などをくっつけるとそれが「小さい」ことを表すという決まり-習慣がある。たとえば、ragazzo(少年)はragazzino(幼い少年)に、cosa(物事)はcosetta(ちょっとしたこと)になる。ちなみに。小さいがあれば大きいもあって、この場合は語尾に[-one][-ona]などがつく。libro(本)はlibrone(大判の本)に、testa(頭)はtestone(大頭/ガンコ者)になる。よって、日本でもよく伊語のまま発音されるpeperoncino(ペペロンチーノ=とうがらし)は、peperone(ピーマン)の小さい版だが、peperone自体もすでに「大きい」という変意名詞のかたちをとっており、とうがらしとピーマンの間に原型となる語はない。鶏が先か卵が先か、前々から思っていたが不思議な単語だ。


さらに言うと[-accio/a]がつくと侮蔑を含み、posto(場所)はpostaccio(場末)に、palazzo(建物)はpalazzaccio(醜い建物)となり、たとえばローマのテベレ河沿いにある裁判所はローマ人から「palazzaccio」と呼ばれ蔑まれている。


すべての名詞に使われるわけではないが、伊語のこの変意名詞は、発音して楽しく、雰囲気を出すに便利で私は大好きなのだが、という話がしたかったわけではなくてfighettoである。ちっちゃなfigoすなわちこれは「流行に敏感でかっこいい人を気取りたい人、あるいは自分がそうであると信じてもーぜんぜん疑わないというふるまいをする人」のことである。そして、子供の大半が王子-王女のように育て上げられ自意識が過剰のさらに上をいくこの伊国の、ファッションやデザインの先端と褒めそやされるが実は自国から一歩も出た事がない蛙が多いこのミラノという街には、こういう輩がひしめいている。


昨夜はまさに、ヒールの高いscarpetta(華奢な靴)を鳴らすtettone(巨乳)のbiondina(金髪の小娘)や、riccone(大金持ち)気取りだがcervellino(ささやかな脳)が丸見えのragazzone(子供じみた男)たちが、発泡ワインのbicchierino(小さなグラス)を片手にpasticcia(まずい料理)をつまみながら、musicaccia(くだらん音楽)で踊るというfiguraccia(醜態)を演じていた。