ツミノイシキ

と書くとまるで芸名のようであるが「罪の意識」である。先日、ロシアの作家ボリス・アクーニンの「リヴァイアサン号殺人事件」の邦訳版を読んでいたら、こんな下りが出てきた。「人々の行動のブレーキとなる/を制御するのは、欧米人の場合は罪の意識、ニポン人の場合は恥の意識」。


なるほどと思い、伊友人Gとの席でその話題を出してみた。彼は自分の娘に洗礼を受けさせなかったぐらいの無宗教者だが、そんな彼でも言う。キリスト教的な考えかたを刷り込まれている欧米人の場合、「何か悪いことをしたら、いずれそのツケを払わなければならない、つまり悪行は自分に還ってくる」という恐れが常にその胸中にあるのだと。だからといってここ伊国に犯罪がないわけではなく、大小いろいろよからぬことをしてしまう輩もたんといるのだが、簡単に言うと彼らは、やっちまった後に「ビクビクと反省する」わけだ。後の祭りだし都合はいいが、この恐れが強ければ確かに事前の抑制力になりうるだろう。そしてこの罪の意識に対する考え方は、多くの人が教会に行かなくなった現在でも老若男女の心の中に常にある。のだそうだ。


そしてアクーニンによれば、ニポン人の行動を制御するのは恥の意識、つまり体面を重んじるという習性から「恥ずかしいことはしちゃいけない」というブレーキがかかるのがニポン人だという。さてどうだろう。失敗して腹を切っていた時代、家族の顔に泥を塗った奴がマジで勘当されていた時代にはそういうこともあったかもしれない。しかし。守らなきゃいけない体面。そんなものは国からも企業からも個人からもだんだんと消えていっているような気がする。足かせも歯止めもなく晴れ晴れと自由になっていくニポン人。さてしかし、どこまで逝くのやら...。